2021年12月10日金曜日

「今思うこと」4年 石井優輝

 

「今思うこと」

4年 石井優輝(昌平高校)


こんにちは。
今回部員ブログを担当させていただきます明治大学体育会サッカー部主将の石井優輝です。
今年2回目の部員ブログとなります。今思うことを率直に書きました。
お時間がある方は読んでくださると幸いです。


2月11日木曜日、全体ミーティングをした後全員で必勝祈願をして、楽しみすぎた大学サッカーラストシーズンがスタートした。こんなに苦しい1年になるなんてことはこの時はこれっぽっちも想像していなかった。

「この代は弱い」
そう言われてきたし、自分でもそんなことはわかっていた。それでも私は言葉を選ばずに言えば
「明治なんだからなんとかなる」
そう思っていた。
その理由は私が明治に入ってお世話になった先輩方が当たり前のように総理大臣杯優勝、五冠、リーグ優勝といった結果を残してきたからだ。
だから主将になってもあまり重圧は感じなかったし、特別気負うこともなかった。

しかし終わってみれば天皇杯は出場できず、総理大臣杯は出場どころか出場権も逃し、リーグ戦は首位を守り切ることができず3連覇を逃した。
チームで掲げた目標を何一つ成し遂げられていない。
個人的にもシーズンが進むにつれて4年生として、主将としての重圧を感じるようになっていった。それと同時にどうすれば勝てるようになるのか。そのために自分は何をするべきなのか。サッカー以外で言えば下級生がどうしたら仕事に対して意欲的に取り組んでくれるか。卒業後の進路はどうするか。様々な悩みが自分の中に生まれた。そして何より試合に出場できない時期が1番苦しい。立場がどうであれ勝利のために全力を尽くすのが明治である。それは4年間で痛いほど感じてきたことだ。それでもこれまでの主将は自らピッチに立ってチームを勝たせてきた。それさえもできない自分がとてももどかしかった。

何も変えることができないのが悔しくてとてもダサいがベッドで涙を流したこともあるし、会場からの帰りのバスで外を眺めるふりをして泣いたこともある。様々な要因が重なって次第に自分を失って、自分の良さがわからなくなり、サッカーがあまり楽しくない時期が続いた。サッカーよりも食堂でご飯を食べながら仲間達とたわいもない話をしていた方が楽しいと感じたこともあった。ここで自分の弱さを知ると同時に、先輩方の強さを感じた。それでも仲間達にそれを悟られないように自分に鞭を打って偽善を装う。それはそれで苦しかった。

だけどそんな感じで過ごしてきた2021年シーズンも後2週間で終わりを迎えようとしている。
「良くも悪くもお前の言動がチームに大きく影響する。お前はそういう立場にある」
これは栗田監督から言われてとても心に残っている言葉だ。だから私はこの2週間チームの勝利のためにサッカー人生をかけて戦いたい。そしてチームを勝たせる。そして12月25日に優勝をしてこの部を去りたいと思う。苦労してきた1年だったからこそ優勝した時の喜びは大きいし、比べ物にならいくらいの価値があると信じて。

最後に新型コロナウイルス感染症と今もなお戦い続けてくれている医療従事者の皆様、インカレが開催されるにあたりご尽力くださいました関係者の皆様。大学サッカー最後の大会がスタジアムでそして有観客で行われることは選手として最高に幸せです。本当にありがとうございます。
さらに選手に負けない熱量で朝早くから厳しく指導してくださいました栗田監督をはじめとするコーチングスタッフの皆様、私たちが入部し厳しく、とても厳しく指導してくださいました先輩方。ここまで大きく成長することができました。本当にありがとうございます。
入部してから嬉しいこと、楽しいこと、苦しいこと、悔しいこと全てを共に分かち合ってきた同期。私たち4年生を信じてこれまでついてきてくれた生意気な後輩達。本当にありがとう。
そして何よりも観に来た試合の後には誰よりも厳しいメッセージを送ってくれる父。いつも励ましのメッセージをくれる母。平日は仕事で夜遅くまで働いているのに、休日はわざわざ試合を観に来てくれる姉。SNSで常に結果を観ているであろう兄。家族の支えがなければここまで来れなかったと思っています。本当にありがとうございます。
その他、明治大学や私に関わる全ての皆様に感謝してもしきれません。この思いをピッチで表現したいと思います。

長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
私たち選手は魂を込めて戦います。皆様も共に戦いましょう。
ありがとうございました。
今後とも明治大学体育会サッカー部へのご声援よろしくお願い致します。


【過去のブログ】

「夢」1年 石井優輝

「兄の存在」2年 石井優輝

「”なぜ”を追求すること」3年 石井優輝

2021年12月3日金曜日

「『サッカー』というもの。」4年 小長井崚真


「『サッカー』というもの。」
商学部商学科 4年 小長井崚真(京華高等学校)


こんにちは。


今回、部員ブログを担当させて頂きます、商学部商学科4年の小長井崚真です。


まずはじめに、新型コロナウイルス感染症に対し、最前線で向き合っている医療従事者の皆様、そして関東大学サッカーリーグ戦をはじめ、大学サッカー各大会の開催や運営にご尽力頂いている全ての関係者の皆様に感謝申し上げます。


また、日頃より明治大学体育会サッカー部をご支援頂いているスポンサー各社の皆様、OBの皆様、関係者の皆様にお礼申し上げます。



今回で4回目、そして最後となる部員ブログです。何を書こうかと大変悩みましたが、自分の人生において「サッカー」がどんなものであったか、そして明治大学体育会サッカー部での経験について書いていこうと思います。少し文章が長くなると思いますが、最後まで読んで頂ければ幸いです。



「サッカー」

自分がサッカーを始めたのは、まだ幼く記憶もない頃。父がサッカーをしていたということもあり、物心ついた時にはボールを蹴っていた。


幼い頃の自分にとって「サッカー」は、コミュニケーションツールの一つだった。

父の仕事の関係で、3歳から8歳までアメリカで生活をした。言語はもちろんのこと、文化や習慣も違う状況下で生活した。3歳ということもあり日本での生活の記憶もほぼない中ではあったが、そんな自分でもさすがに環境が変わったことには気がつき、最初は戸惑うことしか出来なかった。


そんな環境の中、ある時から自分はすぐに地元のクラスメート達と仲良くなることが出来た。それがサッカーをした時だった。

以前ネイマール選手がサントスからバルセロナに移籍したときのコメントでこんなことを言っていた。


"向こう(欧州)のサッカーもここ(ブラジル)のと同じ。ボールだって丸いんだし。"


この言葉が表しているように、サッカーはどこでも同じものである。丸いボールさえあれば、相手とパス交換が出来て仲良くなれる。みんながゴールを目指して協力し、ゴールが決まればみんなで喜ぶ。言語が通じないなどは関係ない。だからこそ、自分はすぐに溶け込むことが出来た。


『サッカーというスポーツは世界共通。』

もちろん、国や文化によってはサッカーの歴史や文化、スタイルも違うが、根幹は同じである。私はこれを直に経験した。



そして日本に戻ってからも、小学校は地元のサッカー少年団で、中学・高校は部活動でサッカーを続けた。

その中で自分はサッカーの楽しさに触れ、勝つことの嬉しさ、負けることの悔しさを知り、努力することの大切さ、継続することの難しさ、組織をまとめることの大変さ、様々なことを経験した。このような経験を出来たのもサッカーをしていたからである。


そして、高校サッカー引退。


大学進学を目指し、明治大学への入学を決めた。そこで一つの選択肢が目の前にあった。それは体育会サッカー部に挑戦すること。そして、その部は名実ともに大学サッカー界のトップである明治大学体育会サッカー部だった。



自分自身、覚悟を持って練習参加に臨んだが、そんな覚悟はすぐに打ち砕かれる厳しい環境であった。

練習の強度、質、選手の意識、声の掛け方、取り組む姿勢、何もかもが自分の経験したことのないレベルだと感じた。その中で自分も練習生として参加するわけだが、当然通用するはずもなく、最初の4ヶ月は周りで自主練をする日々。正直、諦めようかと思うことも多々あった。


もちろん"ここでサッカーをしたい"という自分自身の強い想いもあった。だが、続けられたのにはそれ以外に二つの理由があった。


一つ目は高校の監督、小金丸先生の存在。

先生も大学サッカーの経験者であり、よく自分たちにその時の話をしてくれた。そして、自分が明治大学への進学が決まった時に、サッカー部への挑戦を後押ししてくれたのも先生だった。

大学サッカーで学べること、経験できること、そして続けたことで何を得たか。たくさんのことを教えてくださり、自分を支えてくれた。

自己都合だけでは到底諦められない、先生の顔に泥は塗れない。この想いが自分の中にあり、頑張り続けることが出来た。そして練習生期間を経て入部を果たし、この4年間の経験を得ることが出来た。だからこそ、今でもその決断を後押ししてくれた小金丸先生には感謝の気持ちしかない。


二つ目は同期の存在。

一般生一人という状況の中で、なかなか部に馴染むことが出来ていなかったと思う。その中で積極的に声をかけてくれ、自分の良い部分を見つけ褒めてくれたり、時には食事にも誘ってくれた。もう諦めようかなと思っている時に限って、岡庭や越智が声をかけてきて話を聞いてくれた。その時は「タイミング良すぎだろ!」と思っていたが、今思えばあの時話を聞いてくれて引き留めてくれたからこそ、今の自分があるのだと思う。



そんな自分も4年目を迎え、いよいよこの部から引退する時が近づいてきた。この4年間、本当に濃密な時間を過ごし、多くのことを学んできた。もちろんサッカーの面では、今までにないレベルの中で、苦しいことや悔しいと思うことのほうが断然に多かったが、毎日が気付きや学びの連続でサッカーの奥深さや難しさ、そして楽しさを改めて感じた。


そして、この組織に入って最も学ぶことが出来たのは、

「組織の一員としてのあるべき姿、そして人としてあるべき姿」

だと自分自身は思っている。


試合に出ていない先輩たちの振る舞い方、チームを第一に考えて行動する姿勢。高校の時はどの選手もチームの中心でやってきた選手たち。その選手たちが試合に出れない悔しさを抱えながら、それでもチームのためにそれぞれの立場で全力を尽くす。この伝統こそが明治という組織の基盤を築き上げているのだと感じた。



「明治大学サッカー部はプロ養成場ではなく、人間形成の場である。」


栗田監督は日頃のミーティングでこの言葉を仰っている。

きっとこの言葉を外部の人が聞いたら、あれだけプロ選手を輩出しているのだからそんなこともないだろうと思うかもしれない。

だが、この組織の中にいれば絶対に分かる。人間性がしっかりしていない人、裏表のある人、他人や外部などの環境のせいにする人は、どんなにサッカーが上手くても、それだけでは明治ではスタメンを取れないだろう。だからみんな日々サッカーだけでなく、私生活でも気を緩めずに学ぶ姿勢を持ち続ける。その姿勢が些細な変化を生み、やがてその小さな変化が大きなものとなって、最終的に自然体となり、サッカーの面でも人間性の部分でも成長させてくれる。このサイクルを肌身で体感出来たからこそ、自分自身も日々の小さなものに目を向けて、それに全力で取り組むことで成長することが出来た。


それでもまだ足りていない部分も多いだろう。でもそれは言い換えれば伸び代がまだあるということ。だからこそ残された短い期間の中でも、より成長出来るように日々全力で取り組んでいきたいと思う。そして、少しでも後輩たちに明治がどういう組織か、その中で自分が何をしてきたかを残していかなければならないと思っている。




また、自分は昨年の12月から約9ヶ月間、三半規管による体調不良でチームを離れていた。もちろん、自分自身の気持ちはすごく浮き沈みした。これまで一緒に練習をしていたみんながリーグ戦で戦っている姿を画面を通して見る日々。最終学年であるのに、チームの活動に帯同出来ない虚しさと悔しさ。大好きなサッカーを出来ないもどかしさ。様々な想いが自分の中にあった。そしてその期間中、本当にたくさんの心配と迷惑をスタッフの方々や同期、後輩たちにかけてしまった。

それでも温かく迎え入れてくれた栗田監督をはじめとするスタッフの方々、そしてチームでの居場所を空けて待ってくれていた同期、何事もなかったかのように接してくれた後輩たちには感謝してもしきれない。

だから自分は全身全霊をかけて、このチームのために身を粉にして闘わなければならないし闘っていこうと思う。



この文章を書いていて、心の中で想うことが多くあった。それは今まで自分を指導してくれた方や支えてくれた方への感謝の気持ちや、これまで所属してきたチームや部活、仲間に対する愛着なのだと思う。

こんな気持ちを自分の中に与えてくれた「サッカー」というものは本当に素晴らしいものだと思う。



最初の文章で、自分にとって「サッカー」がどんなものであったかについて書こうと思う…と述べた。


その答え。


自分にとって「サッカー」は、これから生きていく上で必要なあらゆるものを与えてくれた。そして、自分の人生においてかけがえのないもの…それは大切な仲間や成長する環境、喜怒哀楽の感情を与えてくれるものであった。



本当に長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

いよいよインカレも開幕します。自分達の学年にとっては最後の大会です。

11月13日、果たせなかったリーグ戦優勝。悔しい想いがありながらも、みんな前を向いてここまでやってきました。必ず優勝して、笑顔で今シーズンを終えられるように、一戦一戦を噛み締めながら戦っていきます。

今後とも明治大学体育会サッカー部へのご支援、ご声援のほど、宜しくお願い致します!



次回は今年ラストの部員ブログ、石井主将が務めます。1年間このチームを引っ張ってきた大黒柱。責任感が強くとても頼りになる同期です。サッカー中は怒ってることが多いですが、プライベートでは優しい存在です。今年を締め括る熱く、素晴らしいブログを書いてくれると思います!ぜひインカレ前に彼の熱い言葉、気持ちを受け取ってください!お楽しみに!!


【過去のブログ】

「一人一人が持つ責任の大きさ」1年 小長井崚真

「壁の厚さを決めるのは自分」2年 小長井崚真

「内と外。」3年 小長井崚真

2021年12月2日木曜日

「見えないもの」 4年 後藤大輔


 

「見えないもの」

商学部商学科 4 後藤大輔(愛知県立千種高校)



こんにちは。

今回部員ブログを担当させて頂きます、商学部商学科4年マネージャー兼学連の後藤大輔です。




突然ですが、皆さんはこのCMを見たことがありますでしょうか。昨年の大塚製薬株式会社さんの受験応援シリーズのCMです。

お時間ある時にぜひ一度覗いてみてください。



「見えないものと闘った1年だ。見えないものに支えられた1年だと思う。」



コロナ禍を闘う人々を表すこのメッセージに、私ははっとさせられました。

昨年からリモートで大会準備を進めるため部屋に籠る日々が続く中、できなくなったこと、失ったものばかりに目が行ってしまっていましたが、改めて自分を支えてくれているものを再確認することができました。


このような厳しい社会情勢の中大会を支えてくださる協賛各社、

他大学の試合にも会場を提供してくださる流通経済大学さん、国士舘大学さん、

こんな幹事長でも必死に付いてきてくれる学連の同期や後輩、

毎日ミーティングの合間にご飯を用意してくれる両親、、

そしてなにより、

『毎日死に物狂いで闘っている明治の仲間たち』


毎日死に物狂いで闘っている明治の仲間たち苦しい時は八幡山で闘う仲間を思い出し「あいつらはもっと頑張ってるから」と前へ進み続けることができました。

マネージャー、学連と支える側である自分は支えられてばかりいることに気が付きました。

この場をお借りして、後藤大輔を支えてくださる方々に感謝を伝えたいです。



この明治大学体育会サッカー部、関東大学サッカー連盟での4年間は、見えないもの(自分)との闘いでした。

明治大学体育会サッカー部に対して、本当に自分は貢献できているのか。そう問い続けながら4年間を過ごしてきました。

グラウンドに行けず直接選手に働きかけられる時間も少ない中、「置かれた立場で妥協せずに自分と闘い続ける事」それが後藤大輔のやるべき事だと信じて活動してきました。




1週間後、ついに大学サッカー最後の大会が始まります。

23試合全ての試合を有観客試合で行える事に感謝の気持ちを持ち、素晴らしい大会にできるよう尽力します。

ぜひ会場に足を運び、「明治」を観に来てください。




最後に、選手のみんなへ

6時から夢を追いかけるみんなの姿が自分の原動力です。

最高の景色を見せてくれて、頑張る理由をくれてありがとう。


2021年度最後の大会は、ピッチで闘う選手はもちろん、ピッチ外で闘う選手も含めて全員で「明治」を体現しよう。


1225NACK5スタジアムで、全員で校歌を歌って、絶対栗田監督を胴上げしよう。




最後まで読んで頂きありがとうございました。

今後とも、明治大学体育会サッカー部をよろしくお願い致します。


次回の4年生のブログ担当は、小長井崚真です。

体調不良を乗り越え、部の為に毎日闘う姿は明治の象徴です。学連として共に活動していますが、小長井に助けられる事は何度もありました。

壁を乗り越え続けた彼の文章は自分もとても楽しみです。是非御覧ください。


【過去のブログ】


「チームの為に」1年 後藤大輔


「『外から見る』明治大学体育会サッカー部」

2年 後藤大輔


「自分にできること」3年 後藤大輔



2021年11月29日月曜日

「一流と本物に触れろ」1年 山田耕太朗

 


「一流と本物に触れろ」              
法学部法律学科 1年 山田耕太朗(山梨県立韮崎高等学校)


こんにちは。
今回部員ブログを担当させていただきます。
法学部法律学科マネージャー1年の山田耕太朗です。
まず初めに、新型コロナウイルス感染拡大防止に対し、最前線で働く医療従事者の方々、それから関東大学サッカーリーグ戦をはじめとする大会運営にご尽力頂いている皆様に感謝申し上げます。また、日頃よりご支援くださるスポンサーの皆様に心より感謝申し上げます。
「一流と本物に触れろ」
高3の冬、サッカー部の先生の一言が大学サッカーに悩む私の心に響いた。高校時代考えてもみなかった世界であったが、私の高校サッカーの終わりは悔いが残り、もっとサッカーを追求したいという熱が残っているのも自身で感じていた。
去年の12月、私は明治のリーグ戦を見に行った。言葉では表せないような迫力、力強さ、一体感。大学生がとてつもなく遠く偉大な存在に感じた。それと同時に、本物はまさにこのことだと思い知り、この組織で学びたいと決心し一般生としての入部を目指した。
練習と春合宿の8日間で、私は全てにおいて圧倒された。これが、体育会の頂点なのかと。私は大学サッカーのほんの一部ではあったが、肌で感じたことで今までの味わったことのない価値観と感情で胸がいっぱいになった。本物に触れなければ、見えなかった世界があった。
明治大学体育会サッカー部の魅力に気付いた。そして、この組織で学びたいという気持ちには変わりなかった。いろんな立場の方々が存在し、それぞれが勝利の為に最大限自分の力を発揮している。そう考えるようになり、明治大学体育会サッカー部にマネージャーとしての入部に至った。
朝3時4時に起きて、6時から男同士の真剣勝負が始まる。選手もスタッフの方々もマネージャーも、全員が同じ方向に矢印を向けていく。私がもしこの組織から離れていたとしたら、絶対に見られない景色を毎日見させて頂いている。また、自身が初めてマネージャーの立場でサッカーに関わって、それに対する見方も変わった。
選手時代、これまでサッカー脳を鍛え、自身の成長とスキルアップを肌で感じられていた。しかし、正直つい最近までは自分を失いかけていた。サッカーが大好きだからこそ、今までとは違うサッカーとの関わり方に慣れず、困惑していたところがあったからだろう。マネージャーとして指標を見失い、つい選手時代のように心身が反応してしまっていた。なかなか頭がマネージャー脳に切り替わらなかった。
後悔なのか?と何度も自問自答した末、このチームに本当に貢献した!という成功体験がまだ自分にはないからこそ心が揺らいでいたと思った。
選手から切り替えてマネージャーとなったものの、いつまでたっても宙ぶらりんの責任感のない人間だった。そう思い悩む日々は辛かった。目の前の勝負に全身全霊で挑む周りの皆さんに対して申し訳ない気持ちで一杯なのに、それでも変わり切れないのが苦しかった。
そう悩んでいた10月中旬、マネージャーの尊敬する先輩江口さんから半年振り返って仰ってくださった。
「山田には他のマネージャーが経験したことのない経験値があって、選手に近い立場だからこそできることもあるしその経験値をプラスに変えたら本当に強い。周りの期待値が高いんだよ。」
私はその時感じた。自分の中のマネージャーの概念を壊そう、自分にしかできないオンリーワンのマネージャーを確立させようと。マネージャー脳になれないと悩むのではなく、サッカー脳を存分に生かしたマネージャーになる。
この頃からオンリーワンのマネージャーとして本物になろうという意識に変われた気がする。選手を経験している唯一のマネージャーということが、私の最大の武器。選手の思いも熱も理解しているからこそ、「今選手に何が必要なのか。」を考えて行動しようと思うようになった。
4年生のブログ、練習中の発言、行動、試合で見せるスピリッツ。私は何度も鳥肌が立った。言葉だけで無く行動と結果で示すその実行力。一流の先輩方から学ぶことは全て吸収して自身の成長に繋げたい。現状、私は「明治大学体育会サッカー部」の肩書きに埋もれ、何一つ成し遂げていない。ただチームに付属している一人であって、一部員のマネージャーとして自覚と誇り、責任を持たなければいけない。
その為には、今できることを全力でやる。これに尽きる。日本一を目指すチームに欠かせない存在に必ずなる。マネージャーが試合を勝たせる。その心意気で私は、選手の為に明治の為に残り3年間ガッツ見せて最善を尽くす。
いつか一流と本物の存在に自身がなるその日まで、ただがむしゃらに。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
以上で1年生19人の部員ブログは終了となります。それぞれ思い思いの文章を書いていますので、是非ご覧下さい。
今後とも明治大学体育会サッカー部を宜しくお願いいたします。

2021年11月27日土曜日

「サッカーと自分」 4年 小林春稀

 




「サッカーと自分」 
商学部 4年 小林春稀 (東海大相模高校)


こんにちは。

今回部員ブログを担当させて頂きます。

商学部商学科4年の小林春稀です。


まず初めに、新型コロナウイルスに対し、最前線でご尽力されている医療従事者の方々、関東大学サッカーリーグ戦をはじめとする大会を開催するにあたり、ご尽力をして頂いている、学連の皆様、関係者の方々、日頃サポートして頂いているスポンサーの皆様に感謝申し上げます。


早いもので、卒業まで残り1ヶ月を切る時期まで迫ってきました。私自身、この部を卒業するという実感が未だに湧いていません。4年間を振り返ると私の生きてきた人生の中で最も濃い時間を過ごしたと思います。


今回は私が過ごしてきた、4年間で一番印象に残っている試合について書きたいと思います。


その試合は2020年度の前期リーグ戦、最終節vs桐蔭横浜大学戦です。この試合は私が3年目にして、初めてリーグ戦に出場し、初ゴールを決めた試合です。この日の事を今でも鮮明に覚えています。この試合に出場するまで、怪我で何ヶ月もサッカーができなかったり、日々の練習や試合で結果を残しても中々TOPに上がれなかったりと明治で背番号を貰って、試合に出る事は本当に並大抵のものではない事を痛感しました。サッカーでの日々の積み重ねはもちろんの事、サッカー外での私生活や立ち振る舞い、考え方、全てが求められていて、決してサッカーだけで評価される組織ではないのです。


私はこの試合に臨むにあたっては日々の練習や試合、食事、ケア、日常の過ごした方において誰よりもやっていたという自信があります。練習や試合においては目標を決め、最低何点決める、対人では一本も負けないなど、日によって一つは目標を定め、日々目標を持って取り組んだり、自分の武器であるドリブルに関しては動画を見て研究したり、オフの日に自分が1番今までマッチアップした中で対人が強いと感じている、弟と毎週対人をして高めあったり、食事においては管理栄養士の人に話を聞いたりして情報を集め、私自身、体にキレがなかったので脂質や糖質をカットし、タンパク質、ビタミン、食物繊維など様々、栄養のある食事を心がけたり、トレーニング以外の時間は毎日筋トレと有酸素をオフの日も欠かさず継続しました。体のケアにおいてもサウナや鍼治療、ストレッチなどやれるすべての事は尽くし、細部にこだわり続けました。この取り組みを怪我から復帰し、継続しました。


そして、試合の日を迎え、緊張する事なく、自分は自信に満ち溢れていました。私はその試合、0-1とビハインドの状態で出場しました。絶対、自分がこの状況で流れを変えてやるという強い気持ちを持って試合に入りました。その結果、自分の武器であるドリブルという形からゴールを取ることができました。この得点の時、私がドリブルをしている時、須貝さんの要求の声や小柏さんの要求の声が聞こえ、正直パスを選択するか自分でそのままドリブルで行くのか迷いましたが、自分はもうこのビハインドで得点しなければいけないという状況、自分の磨いてきたドリブルなら絶対に抜いて、得点できるという自信があり、ドリブルという選択をしました。その結果、得点することが出来ました。

その瞬間、本当にやってきた事は間違えではなかったと強く思ったと同時に本当にここまで関わってくれた人達に目に見える結果で感謝の気持ちを伝える事が出来たと感じました。


私自身、明治大学でのサッカー生活には、まだ心のどこかでやり残した事があると感じています。残り少ないですが、心の底からサッカーを楽しみ、日々直向きに、日々謙虚に取り組み、今まで私に関わってくれた全ての方々に恩返ししたい。


拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後とも、明治大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。


次回の4年生のブログ担当は、マネージャーの後藤大輔です。真面目で頭がよく、マネージャーと学連の幹事長を務め、常に部の為に全力を尽くしてくれています。

そんな彼の部員ブログを是非ご一読ください。



【過去のブログ】


「怪我を乗り越える」 1年 小林春稀


2021年11月24日水曜日

「過去とこれから」 1年 橋村直人

 


「過去とこれから」


法学部法律学科 1年 橋村直人 (明大中野高校)



こんにちは。

今回部員ブログを担当させて頂きます。法学部法律学科1年学連兼マネージャーの橋村直人です。


まず初めに、新型コロナウイルスに対し、最前線でご尽力いただいている医療従事者の方々、また関東大学サッカーリーグ戦をはじめとする大会を開催するにあたり、ご尽力をして頂いている全ての方々に感謝申し上げます。

また、日頃よりご支援くださるスポンサーの皆様に心より感謝申し上げます。



私は現在、学連兼マネージャーとして部に所属していますが9月までは選手として部に所属していました。そんな過去のある私が感じてきたこと、そしてこれからに向けて思うことを自分なりの言葉で書こうと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。



2021年3月30日。この日付は私がこの明治大学体育会サッカー部の練習生として参加させていただくことになり、初めて寮にきた時刻である。その時の私には「ワクワク」や「楽しみ」という感情は一切なく、ただ未知なるレベルのサッカーに対する恐怖しかなかった。

そしていざ練習に入ると恐ろしい程強度の高い練習が始まったのだ。私は幼稚園からサッカーを始め、小中高とサッカー漬けの生活を送ってきたがまるで私が素人であるかのような錯覚に陥る程のレベルであった。明治大学体育会サッカー部が大学サッカー界でも突出していて日本一のサッカーをすることは知っていたが心のどこかでは「何かしらは通用するのではないか」と淡い期待をしていた。しかし、そんなことは練習がはじまって5分で打ちのめされたのだ。



この日から私の練習生としての生活が始まった。何度も辞めようか悩み続けながらも同期に支えられ、同じ一般生の貝出悠と励まし合い、自主練習も毎日やり続け、約2ヶ月の練習生期間を耐え抜きスタッフの方々から入部することを許可していただけたのだ。中学から明治大学の附属の学校に通い、大学では体育会サッカー部に入りたいと強い憧れを持っていた私は心の底から嬉しかった。



しかし、入部を認めていただいてから約1ヶ月半後、私は練習に吐き気と頭痛で倒れてしまった。病名は適応障害。ひたすら追い込み続け、精神的な負荷が異常にかかってしまったことが原因であると主治医からは言われた。



それから約1ヶ月、自宅療養となり塞ぎ込んでしまう毎日であった。その中でも栗田監督がお電話をくださり、「焦らなくていい、4年間かけて体づくりをしよう」と言っていただいたことで不安でいっぱいだった心も晴れていったのだ。



約1ヶ月の自宅療養を終えてグラウンドに戻ってきた時、皆が温かく迎え入れてくれた。特に同期には仕事の面でも迷惑をかけてしまっていたのに迎え入れてくれたことは感謝しかなかった。



戻ってからはリハビリに入った。復帰に向けて準備を進めていくはずであった。だが、身体が思うように動かず、少し動かすだけで頭痛が襲い、復帰したらまた倒れてしまうのではないか、と恐怖を感じてしまい、寝れない日々が続いた。一生懸命リハビリに励み、復帰に向けて努力をする人達にとっていつまでも復帰をしない私が居ることはとても良くないことであった。



毎日のように悩み、考え続け私は選手を辞める決意を固めた。選手として部に受け入れる判断をしてくださったスタッフの方々、練習生の頃から良くしていただいた先輩方、同期、そして何より私が精神的に辛い時も1番そばで支え続けてくれた家族に申し訳なかった。小さい頃から公園で一緒に練習をし、練習方法を調べては道具を買い、試合があると必ず応援しに来てくれた父、サッカーで泥だらけになった服を毎日洗濯し、帰ってくると必ずお風呂を沸かしご飯を作ってくれた母、私が明治大学体育会サッカー部に入ったことを1番喜んでくれた姉、支えてくれた人達の応援や期待に答えられない自分を責めると同時に今までのサッカー人生を支えてくれたことの感謝の思いがこみ上げてきた。



本当にありがとう。



このような過程があり、私は今裏方として部に関わらせていただいている。

なぜ選手を辞めてまで明治大学体育会サッカー部にこだわるのか。それは私が練習生として来たその日から今日に至るまでの間でこの組織が全てにおいて日本一の組織であると確信したからである。そんな組織を支え、貢献したい。勝つためにもがき続ける選手たちのサポートをしたいという思いが私にはある。



今の私が部に貢献できているかと考えると全くと言っていいほど貢献出来ていない。学連兼マネージャーという立場になるにあたって覚悟を持っていたつもりでいたが私にはまだまだ足りないことが分かった。たくさんの人に迷惑をかけ、まだ「明治大学体育会サッカー部」の看板を背負うに値しないと思っている。

それでも選手を経験した私にできる支え方もあると思う。

明治の為に全力を投じ、一刻も早く信頼される人間にならなければいけないと思っている。



長くまとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後とも明治大学体育会サッカー部の応援の程よろしくお願いします。



次回の1年生の部員ブログは、マネージャーの山田耕太朗です。

名門韮崎高校出身の彼は私が練習生の頃からサッカー面でも相談に乗ってくれて感謝しかないです。

マネージャーとしても細かいところに気が使えて選手たちからの信頼も絶大です。高校までサッカーを続けてきた彼もこの部に対して特別な思いを持っていると思います。そんな彼の部員ブログをぜひご一読ください!

2021年11月23日火曜日

「 俺の想い 」4年 青嶋佑弥


 


「 俺の想い 」

4年 青嶋佑弥(浜松開誠館高校)


こんにちは。

今回部員ブログを担当させて頂きます。

文学部4年の青嶋佑弥です。


まず初めに、日頃の明治大学体育会サッカー部の活動へのご支援・ご声援、誠にありがとうございます。


4年間の大学サッカー生活で、多くの人に支えられて今の自分が存在していることに心より感謝しています。最後の部員ブログ何を書けばいいのかものすごく悩みましたが自分の思いを書きたいと思います。


高校3年の冬、明治大学にスポーツ特別入試での合格が決まり、憧れの明治大学体育会サッカー部に入部することが決まった。合格発表当日、多くの報道の方々の前で調子に乗って「1年目から活躍します」とか言った自分が懐かしい。しかし、その時の自分は本当にそう思っていた。


1年の時、毎日のように「明治大学体育会サッカー部とは何か」、「なぜ、自分は明治大学体育会サッカー部に来たのか」を問われた。


この組織に来てから今まで、サッカー部とは何か、なぜ明治に来たのか。何度も考えた。何が正解とかないと思うが、なんとなく1年の時に覚えたスローガンや、先輩方が言っていた言葉をそのまま真似して言葉にするという軽い次元のものではないと4年になれば分かるし、言葉にするのは難しいが自分の心の中に変化がある。


しかし、当時はその問いに苦しめられたし、考えることから逃げた。サッカーもレベルが高すぎて全く通用しなかった。試合なんか出られるわけもなく、試合前日に荷物の用意をし、当日はボールボーイや駐車場係をしていた。チームが勝って欲しい気持ちはもちろんあったが、それ以上に「俺もこの舞台でプレーがしたい」という思いの方が強かった。

だから、当時4年生の「明治の為に闘う」という言葉や、3年生の「4年生の為に闘う」という言葉の全てを理解できず、自分のことしか考えてなかったし、それで精一杯だった。


2年になり、チームは5冠を果たした。個人として正直いい時も悪い時もあったが、それが自分の甘さだった。TOPチームの時もそうでない時もあったが、自分は何かしらの線引きをしていた。TOPチームの時とそうでない時の練習への気持ちに明らかな違いがあったし、環境に左右されていた。その度に栗田監督から「お前は甘い」と言われ続けた。自分が甘いということは受け入れていたが、気持ちか行動どちらを直せば良いのか、自分を変えたいがどうしたら変わったと思われるのか、自分の変化は自分では気づくことが出来ないのかなど考えていたら頭がおかしくなると思った。


3年の後期のリーグ戦で、当時キャプテンだった須貝さんが大怪我をした。高校の頃から、一緒で仲良くしてもらっていた。自分が明治に入りたかったのも、須貝さんが居たからと言っていいくらい尊敬していた。しかし、大好きだった先輩といきなりサッカーすることができなくなってしまった。練習の時は、その日が最後なんて思ってないから寂しかった。苦しいはずの須貝さんが落ち込む姿を見せず、いつも通りに振る舞う姿を見て、須貝さんの思いを背負わないといけないと思った。コロナの影響で#atarimaeni CUPという名で行われた冬の全国大会は2回戦敗退だったが、心の底から4年生の為に闘っていた。須貝さんはもちろん、3年間共にした先輩には感謝しても感謝しきれなかった。そしてその負けが最上学年の始まりでもあった。


4年生になってからはとにかくチームの為ということだけを考えてやっている。試合では、相手がいるものの自分との闘いだと感じていて、そこに勝てば自然と試合も勝つくらいに思っている。明治のサッカー部としてやる事をやれば負けないと思っている。毎年のようにタイトルを獲得するこのチームで、100周年を迎えたこのチームで試合に出ることは今までのサッカー人生では経験したことの無いような重みや責任感がある。しかし、自分が3年間過ごした中で、4年生の先輩方がその責任感を当時下級生だった自分たちに感じさせることは無く、自分のプレーに集中できる環境を作ってくれた。4年生の本当の意味での偉大さは今になって分かった。サッカーが上手いという部分だけを見て、4年生のようになりたいと思っていたボールボーイ時代の自分は、サッカーが上手いことはもちろん、人としても自分が今まで見てきた4年生のようになりたいと思う人間と変化した。

自分は、1年の時から先輩方に何度も怒られ、心配かけた。その時の感謝は、この明治の伝統を繋ぐこと、そして12月からのインカレで優勝することでしか伝えられないと思っている。

そして、このような思いを持つことができるようになったのは、同期のおかげだ。自分が悩んでいる時に、同期は必ず助言をくれた。「お前のその行動は違う」とか、栗田さんから言われた言葉の1つ1つの意味を一緒になって考えてくれた。それが本当に嬉しかったし、同期にも本当に感謝している。


自分はたくさんの人に恵まれている。

元サッカー選手の父の元に生まれ、自分がサッカーで勝負すると決めて父と同じ世界に飛び込んだ時点で多くの人に恵まれる運命だったのだと思う。そこに高校時代は気づくこと無く、入学した大学で幾度となく地獄を経験してきた。気づくどころかそこに甘えていた自分もいた。気づくのは遅すぎたのかもしれないが、結局自分は自分でしか変えることができない。自分は父の影響で、小さい頃から清水のサッカーを観て育った。小学校の頃、シジマールさんや、長谷川健太さんや、堀池巧さんのプレーをDVDで観て夢を与えられた。いつか自分もそうなりたいと思っていた時に観たのが第90回高校サッカー選手権静岡県予選(2011年)だった。清水商業が静岡学園に日本平で3−0で勝った試合を観て、心が揺れ動いた当時を覚えている。そこから憧れの高校サッカーの道に進むことができ、今は憧れの明治大学でサッカーができている。これは当たり前のことじゃない。この4年間で培った紫紺の魂と、小さい頃に観た清水のサッカーの魂を胸に、自分は明治大学体育会サッカー部の為に残りの約1ヶ月全力で駆け抜ける。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


次の4年生ブログは小林春稀です。謎に包まれていますが、話してみると面白いしとても優しい性格の持ち主です。この4年間怪我に苦しんでいますが、その思いも含め最後の部員ブログで語ってくれることでしょう。是非彼の最後の部員ブログもご期待下さい。


【過去のブログ】

「○○のために」1年 青嶋佑弥

「弱者から強者そして賢者へ」2年 青嶋佑弥

「自分を変える」3年 青嶋佑弥

「今思うこと」4年 石井優輝

  「今思うこと」 4年 石井優輝(昌平高校) こんにちは。 今回部員ブログを担当させていただきます明治大学体育会サッカー部主将の石井優輝です。 今年2回目の部員ブログとなります。今思うことを率直に書きました。 お時間がある方は読んでくださると幸いです。 2月11日木曜日、全体ミ...